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チョコレートブルー

思ったこと、考えたこと、そのまま Twitter:@mk1010_syj

セルカ棒の流行と社会問題を勝手に結びつける。

前回の投稿で私がいかに重度のヲタクかについてひたすら綴ったにも関わらず、突然ヲタ活とは全く関係のない話題について語らせてもらいたい。
 
 
 
ここ最近良い意味でも悪い意味でも話題になっているものとして「セルカ棒」というものがある。自撮り棒という呼び方もあるが、セルカ棒の方が名称として使われている頻度が高いような気がするので、ここではセルカ棒という呼び方で話を進めさせてもらう。
 
 
まず、セルカ棒がどのようなものか知らない人のために、Wikipedia大先生からその説明を引用させていただいて記しておく。知らない人にとってはイラストなどがないとイメージしにくい部分もあるが、私はとんでもない画伯なのでそれはお許しいただきたい。
 

自撮り棒(じどりぼう)とは、カメラやカメラを内蔵したスマートフォンに取付けて、自分撮りを行うための長さ1mほどの状の器具である。 

自撮り棒 - Wikipedia

 

さてこのセルカ棒、いわゆる学生世代の女子を中心に流行っていることはご存知の方も多いだろう。街中やイベントスポットなどでステンレス製の棒を持ち、その先端に向かって人々がピースをしているというちょっとシュールな光景を見かける機会もここ数カ月(?)くらいで急激に増えたように感じる。

 

私自身がセルカ棒の流行を最も感じたのは、先月の中旬、友人と大阪のUSJを訪れたときだった。春休みに入っていたこともありパーク内はかなり混雑していたのだが、すれ違う女子学生の集団の中の一人か二人が、みーーーーんな決まったようにセルカ棒を持っていたのだ。驚いた。そしてもはやスマホをセルカ棒として持ち歩いている。撮影をしていないときでもセルカ棒を縮めた状態で握り、スマホを付けたまま持ち歩いている人すらいるのだ。そして当たり前だが、至る所でセルカ棒を使って「自撮り」をしている人たちがいる。

※ちなみに東京近郊のテーマパークといえば私が大好きなディズニーランドがあるが、こちらではセルカ棒の流行に先駆けて、パーク内での使用が、ゲストの安全確保を理由に禁止されている。私がUSJで驚いたのは、ディズニーではこうした光景を見ていなかったというからということもある。

 

 

私はここで考えた。なぜここまでセルカ棒が流行ったのだろう。もちろん単純に「新しくて面白いもの」という側面があって流行っている部分はあると思うし、流行というものは概して「若者」を中心に生まれるものであるから、それだけを考えればセルカ棒の流行もよくある「流行」の一であると言える。しかし芸人さんのギャグなどとは異なり(失礼)、「新しい道具」というものは、最初は「流行」という形でも、いずれ若者以外の世代にも「便利なもの」として受け入れられ、「一般化」していくものであるような気がする。そう考えると、セルカ棒という「新しい道具」もこの先「一般化」していくのだろうか。

 

結論から言って、私はセルカ棒は「一般化」することはないと考える。その理由を社会問題と勝手に結びつけて考えたい。ようやくタイトルに繋がった。長かった。

 

 

 

まずセルカ棒という道具の利便性と存在意義について整理したい。

セルカ棒というのは、先ほどから書いているように「自撮り」を簡単に行うことができる道具である。その道具一つあるだけで、(多くは)数名で写真を撮る際に、棒の長さがある分、誰かが腕を伸ばしたときよりも全員がフレームインしやすくなるし、被写体までの距離があって周囲の景色がより写りやすいこともあるだろう。そして何より、集合写真を撮ろうとすると撮影者は写真に写れないという当たり前の問題を、自分たちの中だけで解決することができる。

やっと来た...!!これだ、私が社会問題と結び付けたい分はこれだ...!!

 

 

つまり、

周囲にいる赤の他人に対して、「撮ってもらえませんか?」とお願いする手間を省くことができるのだ。

 

 

 

だから何だ、当たり前じゃないか、と思われるかもしれないが、セルカ棒を使うような「若者」がこういう手間を省いていることは、結構根深い問題に繋がってはいないだろうか。

 

少し話が飛ぶように感じられるかもしれないが、最近子育てをする親御さんは、その悩みを周囲に相談できず、抱え込んでしてしまう傾向にあると聞くことが多い。そのような状況が増えた原因として、核家族化が進み、おじいちゃんおばあちゃんに家族内の悩みを気軽に手軽に相談できる家庭が少なくなってしまったことや、昔に比べて近所付き合いが減り、日頃の愚痴や困っていることを当たり前に話す相手がいなくなってしまったことなどが指摘される。

 

ここで問題にしたいのは近所付き合いの減少だ。私が住んでいる地域はいわゆる郊外の住宅地であるためか、自宅周辺にどんな人が住んでいるかもよく知っているし、雪が降ると一緒になって雪かきをしたりもする。が、中学一年生のとき担任の先生が授業中に近所付き合いについて皆に尋ねたとき、両隣の家の住人がどんな人か知らない人は、マンションか一戸建てかに関わらず半分以上いたことを覚えている。

 

そして「近所の人」というのは、ほとんどの場合血縁関係も何もない、ただたまたま隣に住んでいる、というだけの「赤の他人」である。

そう、近所付き合いが減ったことで、私たちは「赤の他人」と話す機会をどんどん失っている。

 

さらに、今の「若者」(私も年齢的にはこのくくりに入ることと思うが、それについては気にせず読み進めてもらいたい)は、こうした「機会」がどんどん失われてきた中を生きてきた世代のはずだ。そうすると、近所の人=「赤の他人」に話しかけること、会話をすることが当たり前ではないと漠然と感じる世代だと言えないだろうか。

 

何が言いたいのかというと、今の「若者」にとって、集合写真を撮りたいとき、周囲の「赤の他人」に「撮ってもらえませんか?」と頼むことは、できればやりたくない(抵抗がある)ことで、そこにセルカ棒というそういった問題を一気に片づける道具が現れ大ヒットに繋がったということである。

 

「若者」が持つ、「赤の他人」に話しかけることに対する抵抗と、それを解決する利便性が見事に一致してセルカ棒は流行った、と私は考えているのだ。

セルカ棒の流行は、「単なる新しい物好きの若者による流行」という側面だけではない部分があると思う。

 

そしてそういった抵抗を持っているのは先ほども書いたように今の「若者」だけであり、それより上の世代は、若者と比べるとまだそこまで「赤の他人」と会話をする「抵抗」がないと考えられる。

だからこそ、セルカ棒が若者以外の世代にも受け入れられることによる「一般化」はない、のだ。

 

 

ここまで書くと、いささか強引な結論付けだと感じる人もいるかもしれない。

確かに話しかけることへの抵抗というものはその人自身の性格にも大きく左右されるし、何より「自撮り」という行為そのものが若者特有の行為なのだから、セルカ棒が若者だけに流行るのは当たり前だと思う人もいるだろう。

しかし、一人ひとりの性格の違いというものはあれど、生きてきた時代を背景に創り出されるその世代特有の価値観・考えというものは確実にあると思うし、よく「近頃の若者は...」という言い方をするだろう。それと同じだ。今回はそのような、「時代背景から考える世代の特徴」とセルカ棒の流行との関係について考えてみた次第である。

そして、カメラを自分に向けて撮影するという行為は、撮影する道具が携帯・スマホではなく、デジカメやカメラであった頃から存在していた。「自撮り」がしやすくなったのは携帯・スマホの普及が関わっている部分が大きいとは思うが、少なくとも「自撮り」は現代の若者が生んだ文化ではないはずだ。

 

 

では最後に、セルカ棒流行の何が問題なのかをまとめて締めくくりたい。

先ほど挙げた、子育ての悩みを解決する手段の減少、という点にスポットを当ててみても、「赤の他人」との関わり薄くなってきているこの現状は問題であると言え、「抵抗」を持つ世代がこれからもそうした「関わり」をどんどん減らしていってしまうかもしれない。日本ではそうした「関わり」の大切さを見直さなくてはならない時期に確実にきているし、実際地方自治体などでは子育て真っ最中の親御さんが集まる機会を積極的に作っていくなどの支援が増えつつあると聞いている。

しかし、セルカ棒はそうした抵抗を自分たちの中で解決できてしまう道具だという話を先ほどからしている。つまり、新たな道具の出現がそうして問題解決への道を塞いでしまっているかもしれないのだ。「便利だから」と受け入れたものが、社会問題の深刻化をいつの間にか加速させていたら、こんなに怖いことはない。セルカ棒の流行は、私たちにこんなことを教えてくれているような気がしてならない。

 

「便利」というのは本当に怖いものだ。日本は戦後様々な技術を手に入れ、生活は便利になって豊かさを手に入れた一方、多くのものを失ったと言う人がいるが、これまでのように「便利」をありのままに受け入れるのではなく、一歩立ち止まって受け入れる=「流行にする」ことが現代の「若者」に求められているのかもしれない。難解だ。