チョコレートブルー

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Hey!Say!JUMP LIVE TOUR 2015 「JUMPing CARnival 」広島・名古屋・横浜公演セットリスト

Hey!Say!JUMP LIVE TOUR 2015

「JUMPing CARnival 」

広島(8月12,13日)

名古屋(8月19日夜の部)

横浜(10月10日両部)

セットリスト

※管理人が参戦したもの

 

1.Fantasist(Instrumental)

2.ウィークエンダー

3.Come On A My House

4.Ride WIth Me

5.JUMPing CAR

6.Viva! 9's SOUL

7.SUPER DELICATE

8.Puppy Boo

9.ペットショップラブモーション

10.スーツデイズ

11.Hey!Say!7ソロ曲メドレー

Moonlight~麗しのBad GIrl~

 Higher~おおきくな~れ☆ボク!!

12.ただ前へ

13.我 I need you

14.明日へのYELL

〜MC〜

15.3月14日~時計

16.殺せんせーションズ(せんせーションズVer.)

17.キラキラ光れ

→横浜のみ新曲「キミアトラクション」に変更

18.Chau#

19.UNION

20.ヨワムシ★シューター

〜Yuto MANIA(裕翔ドラムプレイ)〜

21.Beat Line

22.愛よ僕を導いてゆけ

23.Boy's Don't Stop

24.Ainoarika

25.Ultra Music Power

26.Very Very Happy

↓アンコール↓(12日13日共通)

27.Dreams come true

→横浜のみ「キラキラ光れ」に変更

28.愛すればもっとハッピーライフ

↓Wアンコール↓

(広島は13日のみ、名古屋は19日夜はあり、昼の部は無し確認済、横浜の10日は両部共になし)

29.Romeo&Juliet

 

 

 

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(余談)

広島2日目の13日は1日目より30分公演開始時間が早かったのですが、それを考慮しても本編終了時間が1日目より10分も早かったんです。

思い返してみると2日目はMCで告知に入るのが1日目より無理矢理感あった気がしたんですが、恐らく当日中に飛行機で東京へ帰ったとことを考えると、Wアンコールやるために頑張ってMC巻いてくれたのかな、なんて思ったり。。。

 

 

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AKB48Gにおける「組閣」の存在意義と価値の変化①

 
AKB48G(AKB48グループ)の「組閣」というものをご存知だろうか。
ここ数年のうちに行われた「組閣」はY⚫︎hoo!のトップニュースになっていた記憶もあるが、AKBファン以外の人からしたら、「組閣」と言われても「???」だろう。
 
 
大分前になってしまったが、去る3月26日、「春の人事異動」と称してAKB48Gは組閣を行った。AKB48はこれまで姉妹グループ全体を巻き込んだものを含めれば4回の組閣を行っている。(各姉妹グループのみでの組閣は除く)
 
 
今回はAKB48Gにおける「組閣」の説明から意義を考え、その存在価値の変化やについて個人的見解を好き勝手に書いていく。
 
 
 
 
まず、ご存知の通り組閣は本来政治用語であり、その意義は以下の通りだ。
 

 

日本において、内閣総理大臣就任予定者が、新たに内閣を組織すること、またその作業・手続を指すが、一般的には内閣改造の際の作業・手続も含める。組閣 - Wikipedia

 

 
AKB48の組閣を理解するために砕けた表現にしてしまえば、「内閣を構成するメンバーの入れ替え、ポジション移動などの決定」となるだろうか。
 
 
ではAKB48における「組閣」とはどのようなものだろう。
それを理解するためにはまず、AKB48Gの「チーム制」について知る必要がある。
 
 
AKB48Gファンにとっては当たり前のことなのだが、ライトファン・一般の方には意外と知られていないのがこの「チーム制」である。AKB48及び姉妹グループであるSKE48NMB48HKT48は、もちろんグループとして活躍していて、シングルCDを歌うメンバー=「選抜」が世間に出ることが多い。しかしその「選抜」「非選抜」という区分だけでなく、メンバーはほぼ全員「チーム」というものに所属している。
 
 
2015年5月現在、国内の各AKB48Gには以下のようなチームがある。
 
AKB48→チームA、チームK、チームB、チーム4、チーム8
NMB48チームNチームM、チームBⅡ
※AKB以外はチームに所属していない「研究生」がいる。
※AKBのチーム8は、TOYOTAプレゼンツで47都道府県から選ばれたメンバーで構成されているチームであるため、他のグループとは少し立ち位置が異なる。
チームKⅢはインドネシアジャカルタを拠点とするJKT48が持っている。
 
 
 
主に各グループ名の頭文字を取って名前が付けられているのだが、ファンではない一般の方の中は、「チームAは一軍、チームKは二軍…といった具合にメンバーがチーム分けされていて、シングル曲を歌ってテレビによく出る『選抜メンバー』は全員チームAに所属している」と勘違いしている方もいると思う。
 
 
第一回の組閣までは、AKB48においてはこうした「人気の偏りの傾向」があったのも事実だが、これについてはまた後ほど語らせていただくとして、とにかくチーム分けは人気順で決まっているものではないということをここではご理解いただければと思う。
 
 
チーム分けは原則として、「加入期」で決まっている。(あくまで「原則」である)
 
すなわち、
チームA→1期生、チームK→2期生、チームB→3期生…(姉妹グループも同様)といった具合である。
そして「チーム」に所属するメンバーは、「研究生」に対して「正規メンバー」と言われる。
 
 
では4期生以降はどうなるのかというと、まず全員が研究生としてひとつのチームように活動を始める。
(厳密に言うと1〜3期生も加入当初は研究生という形を取り、一定期間を経て選ばれた16人がチームを編成することができるのだが、ややこしいので1〜3期生は全員そのままチームを編成する、というような意味合いのまま話を進めさせていただく。)
 
 
研究生として活動を始めた4期生以降のメンバーは、各チームの公演メンバーに欠員が出た際*1、そのメンバーの代理として正規チームの公演の出演することを主な活動としていく。最近ではチーム研究生として公演を行うことが当たり前になっていることが多いが、研究生の仕事はあくまで「欠員補充」であるという考えは根強い。
 
 
そして重要なのはここからである。
4期生以降の「研究生」は、いつまでも研究生のままでいるわけではなく、各チームのメンバーが卒業や活動辞退によってグループを離れた際、研究生の一人がその枠に「昇格」していくのだ。これは研究生にとって一大イベントであり、一体誰が正規メンバーに昇格するのか、という点はグループのファンにとって最大の関心事であったりする。
 
 
このように、チームに4期生以降のメンバー(原則として)が入っていくことで、チームは必ずしも同期だけの構成ではなくなっていく。
 
 
しかし、一人ずつ研究生が昇格していく制度であるがゆえ、どうしてもそのままだとやはりチームの「○期生集団」というイメージは強くなっていくし、メンバーにとっても「周りがずっと同じメンバー感」は当たり前になってくる。
 
これが良いか悪いかは別として、秋元康先生は常に新しいこと、誰も考えないようなことを追い求める方である。現在がどんなに素晴らしい状態だとしても、「ずっと同じ」ではいつかは飽きられてしまうことを、きっと誰よりもわかっているのだろう。
 
 
そこで2009年8月23日、「AKB104選抜メンバー組閣祭り」(コンサートタイトル)にで発表されたのが、AKB48として初のチーム再編成である「組閣」である。わかりやすく言うと、今までのチームメンバーを崩し、全体の構成をシャッフルしたのである。
しかもそれをコンサート終わりのMCで大々的に発表し、その場でチーム編成をひとりひとり名前を呼びながら公開するということが行われたため、唖然とするファンと涙するメンバーがただただそこに存在し、現場は地獄絵図だったと言われている。この初めての組閣の様子は、今では伝説と化している。
 
 
正直言って私はこのとき、まだAKB48のファンになってから日が浅く、これを聞いたとき一体何が起こっているのか全然理解できなかった。ようやく全体を理解できたのは、新チームで新公演が始まった頃だった。だがこれを理解できなかったのは、メンバーも昔からもファンの方も同じだったようだった。
 
 
私事になるが、当時推しメンであった佐藤亜美菜(さとう あみな)ちゃんは、この組閣で所属チームをチームAからチームBに移すことになった。発表された瞬間の彼女の呆然とする顔は未だに忘れられない。あのときの彼女の気持ちを私が察することを、今でも少し躊躇してしまう。
 
 
ただ私が注目したいのは、この初めての組閣が持つ「意味合い」である。このときの組閣は、「新しいAKBの幕開け」という意味合いが強かったように思う。
 
慣れ親しんだチームが崩れるのはさみしいけれど、そのままでいては何も変わらない、だからまたここから新しいAKBを見せていこう。
 
組閣を受け入れた彼女たちからはこんな決意が随所から感じられた。「大人」が決めた突然の「シャッフル」に必死について行こうとする彼女たちの姿は美しかった。
 
 
組閣後の新チームKによって行われた新公演*2「RESET」の表題曲、「RESET」の1番のにはこんな歌詞が綴られている。
 
 

ねえ君は覚えているだろうか?

慣れて来てしまったあのステージ

そうメンバー気づいていなかった

恵まれたまわりに甘えてたあの頃さ

目の前にはいつも沢山見守る人がいて

仲間たちが支えあった

抜け出せない生ぬるい水

 

風を入れろ!チームよ、目を覚ませ!

今の場所で立ち上がれ!

風を入れろ!今日からは新しい

OH 我らがチームK

 

 

実際、このときの組閣は正規メンバーの大量卒業を受け、研究生の大量昇格も含めて組閣を行ったという側面もあるのだが、AKB48における組閣は、「これからが楽しみなわくわくする何か」であるはずだった。しかし、ここ数年に行われた組閣はそうではないような気がする。

 

なんだかAKB48ファン以外の方にも組閣をついて知ってもらえたら嬉しいと思って組閣の説明から書き始めたら想像以上に長くなってしまって、全然価値の変化とか個人的見解を書かないままここに来てしまった。誤算だった。

 

 

というわけでこの記事は2つに分けることを今決めた。途中に記事は幾つか挟まる可能性は高いが、続きはまた今度にさせてほしい。

 

 

 

 

*1:主に48G関連以外の「外仕事」が欠員の理由であることが多い

*2:AKB48Gは各々の劇場において、チームごとに16曲程度のオリジナル曲からなる「公演」を行っている。このときの組閣ではチームの再編成を機に公演が一新されたため「新公演」と呼んだ。

知らなかった楽しさを教えてくれた2014春イベの話

 
ディズニーには一年を通して季節ごとに様々なイベントがある。昨年一年のディズニーでの出来事を振り返ったとき、一番にくるのはやはり春のイベントだ。今回はその話を書きたいと思う。この記事は単なる思い出の記録だと思って読み進めてほしい。
 
 
 
昨年2014年の春イベは両パークで以下のようなものだった。
 
ランド「ディズニーイースター
シー「ミッキーとダッフィーのスプリングヴォヤッジ」
 
ディズニーでは、同じ名前のイベントを一部衣装などをリニューアルしながら数年連続で行う、というのが最近の傾向になっている。この年は、ランドでイースターが2年振り*1に開催され、新パレード「ヒッピティ・ホッピティ・スプリングタイム」*2が始まった。一方シーの「ミッキーとダッフィーのスプリングヴォヤッジ」は、2012年、2013年と続けて開催されてきたイベントで、2014年は3年目にあたる年だった。
 
 
そして、私が初めて年間パスポートを購入したのは2014年2月末のことだ。それまでの私は、ただひたすらアトラクションに乗り、それを如何に一日で制覇できるかについてしか頭になかったのだが、この春イベをきっかけに、その考えは180度変わることになる。
 
 
忘れもしない2014年4月6日の日曜日、この日は春イベが始まって初めてのインだった。開演直後、ワンマンズ・ドリームⅡ*3の2回目公演の抽選をしたところ、落選してしまったため、私はどうしようかと考えていた。そして、せっかくイースターが始まったのだから限定のショーを見ようと思い、「ヒッピティ・ホッピティ・スプリングタイム」の1回目公演を1時間ほど待って見ることにした。
 
 

思えばこれが全ての始まりだった。

 
 
「バニーバニーダンスって何!?」
「なんか音楽かわいい!!」
チップとデールってこんな可愛くて面白い感じだったっけ??」
「ミッキーが紫の燕尾!?かっこいいけどうさ耳かわいい!!」
「ぎゃあああああああ、ミニーちゃああああああん、ピンクのドレスとかうわあああああかわいいいいいいい」
「あれ、パレードってこんなに楽しかったっけ?」
 
 
 
私はこのとき決意した、「まだ午前中だし、このあとシーに行って春イベのショーを見れるだけ見てみよう!」と。
 
 
実はこの日は、午前中はよく晴れて暖かかったものの、昼過ぎくらいにゲリラ豪雨のような霙混じりの大雨が降って急に寒くなったりと、日中はかなり不安定な天気だった。
そんな天候もあり各ショーの実施が不安ではあったが、これから先雨が降る予報ではなかったため、決意そのままに私はディズニーシーへ向かった。
 
着いてからToday*4と睨めっこして考えた結果、時間的にちょうど良かった「スプリングタイム・サプライズ*5、そして終了後に「イースター・イン・ニューヨーク」*6を見ることにした。
 
思えば「ショー待ちをする」という行為をしたのもこれが初めてだった。「スプリングタイム・サプライズ」では1時間、「イースター・イン・ニューヨーク」では1時間半程度待っただろうか。ショーのためにそんなに待つなんて、今までの私では絶対に考えられないことだった。
 
 
そして「スプリングタイム・サプライズ」が始まり、ミッキー・ミニーも登場してワクワクしながら見ていたところ、まさかの事態が起こる。
 
 
風キャン。*7
 
 
強風のためショーが途中で中断してしまった。今考えてみればいつ中止になってもおかしくない強風っぷりだったのだが、失意のまま私はその場を離れ、少しブラブラしてから、「イースター・イン・ニューヨーク」が行われるウォーターフロントパーク*8へ向かった。
 
 
始まる前私は、とにかくどんなショーなのだろうという、期待も不安もない純粋な気持ちで待っていた。
 
先に言っておくと、幸いなことに天候は安定し、このショーは最初から最後まで問題なく行われた。だがショーが始まった途端、私の中に渦巻いたのは、無事ショーが開催されたことに対する安堵などではなかった。いや、もちろんその気持ちもあったが、そんなものはすぐに吹き飛ばされたのだ。
 
 
 
ライトアップされた舞台
それ彩るブラスバンドの生演奏
キャラクターとダンサーさんのテーマに合わせたカラフルな衣装
ワクワクするような音楽
完璧なエンターテイメント性
 
 
 

素晴らしいの一言だった。
私はただただ圧倒されていた。

 
 
その日から、パークに行く機会の大半はこのショーに捧げる日々が始まった。主には毎週金曜日の午後、学校からパークへ行くことが多かった。午前中に授業が終わってすぐ舞浜へ向かい、シーに入ってすぐ待機列に並んで、19:25の通称「夜回」*9を4〜5時間待って見て帰る。課題が終わらないときは、ノートPCを持ち込んでその時間にやった。そうやっていろいろ無理してでも、どうしてもどうしてもできるだけ多く記憶にとどめたいと思えたショーだった。休日にワンデー*10の妹を誘ってインしたときには、12時過ぎから7時間ほど待って見たこともあった。
 
 
やがてコートも上着もいらなくなり、日中は汗ばむような陽気になってきた6月19日、私の春イベ見納めはこの日だった。春イベの中盤、私はこの「ミッキーとダッフィーのスプリングヴォヤッジ」が開催3年目であること、来年はもうやらない可能性が高いことを今更ながら知った。「見納め」というものがこんなに悲しくなることも初めて知った。思い入れがあればあるほど「最後」は悲しい。
この日も昼間から7時間ほど待ち、センターの真横からショーを見た。写真撮影もそこそこに、私はショーのひとつひとつを目に焼き付けた。終了したその瞬間は、不思議と虚無感はなかった。
 
 
だが秋になり、同じウォーターフロントパークでハロウィンのショー*11が行われるようになったとき、初めて喪失感を感じた。「イースター・イン・ニューヨーク」に出演していたダンサーさんをそのショーで見かけたのもきっかけだった。そして同じ頃、次年度のイベントスケジュールとその内容が発表された。2015年春のディズニーシーの予定の中に「ミッキーとダッフィーのスプリングヴォヤッジ」の文字はなかった。「イースター・イン・ニューヨーク」はもう二度と見られないことが公式発表によって決定した瞬間だった。
 
とてつもない喪失感だった。
 
でも後期以降、大学の忙しさからインできる回数は夏までに比べて激減し、それに身を任せているときはそのことを忘れられるような気がした。
 
 
そして季節はあっという間に巡って、やがてクリスマスも終わり、異例の混雑となった1,2月も過ぎ、春休みの混雑がピークとなった3月31日、私は年パスを更新した。迷いは全くなかった。また一年間ディズニーと共に季節を辿っていきたい、そんな気持ちでいっぱいだった。
 
 
いよいよ、今年の春イベであるディズニーイースター2015が、4月2日から両パークで始まった。私は今、この記事を書きながら舞浜へ向かっている。実は4月1日のプレスレビューの日にシーの新ショー「ファッショナブルイースター」を見る予定だったのだが、待っていた2回目公演は残念ながら雨によりキャンセルになってしまい、まだ観れていない。今日は久々に晴れそうだ。何よりこのショーは周囲の方の評価も上々で、とても楽しみにしている。
 
 
もう新しい春を迎える準備はできている。その根底にあるのは、2014春イベ、その中でも「イースター・イン・ニューヨーク」を決して忘れないという思いなのかもしれない。
 
そう、きっと春は何度でも新しい。
 
 
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※ディズニーに詳しくない方が読んでくださったときのために、といろいろ考えながら書いた結果、脚注が大変なことになりました。読みづらくてすみません、意味不明ですみませんorz
 
 
 

*1:「2年振りに開催」2013年春は30周年の幕開けだったため季節イベントはなし。

*2:「ヒッピティ・ホッピティ・スプリングタイム」秘密のイースターガーデンをテーマに、ディズニーキャラクターがイースターをお祝いするパレード。

*3:「ワンマンズ・ドリームⅡ」正式名称は、ワンマンズ・ドリームⅡ-ザ・マジック・リブズ・オン。ディズニーランドで行われているレギュラーショーの一つ。

*4:「Today」その日のエンターテイメント情報がわかるパンフレット

*5:「スプリングタイム・サプライズ」アラビアの仲間たちがミッキーたちを迎えてサプライズをする春の祭典、がテーマのショー。

*6:イースター・イン・ニューヨーク」ニューヨークで行われているイースターのお祭りを4つのユニットが盛り上げ、盛大に春の到来をお祝いするショー。

*7:「風キャン」強風によるショーの途中中断・中止のこと。この他にも、雨によるキャンセル=雨キャン、夏場の高温による安全確保のためのキャンセル=熱キャン、ショー機材のトラブルなどによる中止=シス調(システム調整)などがある。

*8:ウォーターフロントパーク」ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントにある広場。目の前にはホテルハイタワー(タワー・オブ・テラー)がそびえる。

*9:「夜回」主には日中に行われる「昼回」に対しての呼び名。このショーは3回目の夜回だけライトアップが行われ、昼間とは違った雰囲気を楽しむことができたため、夜回は特に人気が高かった。

*10:「ワンデー」ワンデーパスポートで入園する人のこと。多くは年パス所持者の対義語として使われる。

*11:「ハロウィンのショー」ニューヨーク・ハロウィン・フォリーズというショーのこと

NMB48河野早紀の卒業と上枝恵美加の休業が語りかけるアイドルの現実

 
4月9日(木)、NMB48チームBⅡのキャプテン上枝恵美加が、4月13日より学業専念のためNMBの活動を休業することが発表された。
 
そしてその翌日の4月10日(金)、チームN河野早紀が卒業を発表した。
 
 
この二人はどちらも、私の推しである薮下柊ちゃんと同期の3期生である。私は柊ちゃんを推すようになってから、3期生で結成された初代*1チームBⅡを箱推ししていた。同期生に囲まれて、そんな中でセンターをやっている彼女が大好きだった。そんな初代チームBⅡ時代にも、チームメンバーや同期生が数名卒業ないし活動自体をしているが、この2人の休業・卒業は私にとって、今までのメンバーの発表とは少し意味が違うものであった。
 
 
 
というのもまず、3期生、そして初代チームBⅡでセンター・エースというポジションを担っていた薮下柊加藤夕夏(かとう ゆうか)は、チームの中でも比較的年下組に入る。そして初代チームBⅡ時代に卒業・活動辞退を発表した3名は、この二人より1,2歳年上、あるいは年下のメンバーであった。学業専念を理由にチームを去っていったメンバーが多いが、皆中学生高校生のメンバーで、言い方は少し悪いが「アイドルの世界に早めに見切りをつけた」と考えられる。
 
 
対して今回休業・卒業を発表した上枝恵美加河野早紀は3期生の中で、学年だけで言えば最年長にあたるメンバーである。上枝はNMB加入後に地元の短大へ進学、河野は出身地の有名大付属高校を中退後、一年のブランクを経て関西の有名四大に進学した。高校卒業後は大学には進学せず専業アイドルとなるメンバーが多い中、二人ともアイドルの延長線上にある将来の夢を見据えて学業との両立を選んだ。大学に進学するメンバーに対して、「アイドル一本でやる自信がなくて逃げ道を作ったんだろう」という人もいるが、私はそうではないと思う。もちろん超人気メンバーはほとんど大学進学という道は選ばない。でもそれは「今現在」は物理的に本当に時間がないからで、悩みまくった結果諦めているのかもしれないし、人気がないとされるメンバーでも、進学しないメンバーは大勢いる。「アイドル」と「学業」を天秤にかけたとき、そのメンバーにとってどちらもやりたいことなのであったら、まずは両立する道を考えるだろう。両立するのもしないのも、学歴というフィルターを通してAKBの外にある社会を見るならば、実は「大変」なのは一緒で、それが今なのか未来なのかということだと思う。実際、卒業してから専門学校や大学へ改めて進学するメンバーもいる。もちろんごく一部のメンバーは学歴なんてなくても、グループ卒業後も芸能人として一生やっていけるだろう。でもそうなれるのはほんの一握りだし、それをいつまでも夢見ていられない「現実」がある。
 
その現実に本当の意味で直面したことを実感し、自分の将来を真剣に考えて選択しなくてはならないのが、加入して3~4年後、高校卒業後の18歳~20歳くらいなのだろう。大学に進学しているいないに関わらず、アイドルとしてなかなか芽が出ない「現実」に、「私の将来どうなるんだろう」と感じるのは当たり前のことだ。上枝・河野にとってみれば、同期でセンターを務めるのは年下の薮下・加藤といったメンバー、後輩も加入して選抜入りもどんどん抜かされていく。しかもAKB48Gは公演の立ち位置以外でも総選挙などで序列がはっきり晒される、ファンから見ていても本当に厳しい世界だ。そんな中、中高生でチームを去っていたメンバーと異なり、二人は「精一杯アイドルをできるギリギリ」まで続けて頑張ってきた結果、休業・卒業を選択したのだと思う。先に去ったメンバーは根性が足りなかったとか言いたいわけではなく、アイドルの世界には「陰」という名の「現実」が如実に表れている。
 
 
そして二人には共通点がもう一つある。それは「NMB3期生としてアイドルになったことが(恐らく)最後のチャンス」であったということである。様々な文献や彼女たちの発言から考えると、上枝はNMB2期生、AKB13期生のオーディション、河野はローカルグループの一員として活動後、SKE、HKTのオーディションをそれぞれ受け不合格しているという過去がある。年齢的にも「これが最後」と臨んだNMB3期生のオーディションでやっとの思いでその「ポジション」を掴んだのだと思う。そうして掴んだ「ポジション」だったが、今回河野はアイドルとしてのそれを自ら手放し、ラジオの仕事がしてみたい、とその活動に終止符を打つことを決意した。上枝は復帰を見込んでの休業という形を選択したが、それはそれでまた卒業とは違った辛さがある。休業したまま戻ってこないメンバーもいるし、戻ってきたとしても、一年後自分の「ポジション」がある保障はない。
 
 
河野は以前、「熟れないアイドル」という部分にスポットが当てられ、個人のドキュメンタリー番組が制作・放送されたことがある。そこでは、握手会で自分のレーンだけガラガラの状態が続く様子や、自分が輝けない理由がわからず思い悩む様子がありのままに映し出されていた。「もう少し頑張って、選抜された先の風景が見たい」とも語っていた。しかも河野は確実に高学歴であるし、アイドルになりたいと思っていたかったならば、良し悪しは別としてもう少し違った将来を選択できたのかもしれない。しかし舞台に立っていた彼女はどんなに後ろにいても、端にいても、本当に輝いていた。綺麗だった。
 
上枝は、初代チームBⅡをキャプテンとしてずっと支えてきた功労者だ。3期生のみで結成されたもの、「華がない」、「小粒」などと言われ、東京公演のチケットは48Gで唯一完売できなかった初代チームBⅡ。そんなBⅡを年長者としてしっかり引っ張っていってくれた。責任感も本当に強く、チームBⅡお披露目公演時には、
3期生の中で最年長の一人ということで、オーディションの最終審査の時にも「周りをまとめられる立ち場になりたいです」と言いました。「チーム」の「キャプテン」としては、まだまだ足りない事ばかりやと思いますが、自分自身、周りをちゃんと見て、チームBIIをいつも感謝の気持ちを忘れないで何事にも我武者羅に取り組めるそんなチームにしていきたいと思っています!
と語っていた。そのおかげで初代チームBⅡは本当に素晴らしいチームになれたと思うし、その向上心を忘れずにまたこの場所に戻ってきて新たなチームの魅了を引き出してくれることを期待している。
 
 
女性アイドルの寿命は本当に短い。その儚さに「美しさ」を感じてしまうのは私だけではないはずだ。二人にいつか、自分の夢を叶えられる日がくることを願ってやまない。
 
そんなことを、初代チームBⅡに秋元康先生が送った最初で最後のオリジナル曲、「アーモンドクロワッサン計画」*2を聴きながら思った。
 
 
 
 
 

*1:チームBⅡはAKB48G全体の組閣を二度経験している。初代チームBⅡはNMB3期生のみで最初に結成された、チームNチームMに続くNMB48内の3つめのチームである。

*2:この曲は本当にすごい。最初は皆で同じ夢を見ながらも、やがて一人ひとりが少しずつ別の夢に向かって進んでいく様子を描いているように思えてならない。ぜひ一度聞いてみてほしい

いい加減24時間テレビについて語ろう。

 
先週日曜日、Hey!Say!JUMPが先輩であるV6と共に24時間テレビのパーソナリティを務めることが日テレのバラエティ特番内で発表された。
 
 
私はその日20時半頃までアルバイトをしていて、さらにその番組内でパーソナリティが発表されることもよくわかっていなかったため、バイトが終わって電車の中でTwitterを開いたら、
「次の発表20:53頃らしいよ!」
とか
「これJUMPさんあるんじゃない!?」
とかいうつぶやきが目に入って、
 
 

は????

 
 
という感じになった。
 
寝耳に水にもほどがあった。
 
わけがわからなかった。
 
 
 
全く状況が理解できないまま数分が経過し、フォロワーの方々の予想通りもう一組のパーソナリティはJUMPさん(私はHey!Say!JUMPのことを普段こう呼ぶ)ということが発表された。
その瞬間から私のTLは、発表時のキャプチャ画像やコメントの文字起こし、「おめでとう!!」「やっとJUMPきた!感動した(つД`)ノ」などというつぶやきで溢れかえった。
 
 
だが正直私は、

全然嬉しくなかったし、祝福する気持ちにもなれなかった。

 
 
もちろんJUMPさんのことが嫌いになってきたからとかそういうことじゃなくて、事実を受け入れることができなかった。
 
今からその理由について書いていくが、JUMP担の方からも理解を得られない内容かもしれないので、そこらへんは了承の上読み進めていただけると有難い。
 
 
 
 
まず第一に、
JUMPさんには早すぎると思った。
 
これは単なる私の感覚の問題なのだが、JUMPさんが今年でデビュー8年目という実感が全くなかった。あれからもう8年も経ってるなんて、信じられないわ(ウルウル)というやつだ。8年目という年数は決して早くはないということは、嵐の例を思い浮かべれば、他のグループに関しては疎すぎる私にだって容易に理解できた。
ちなみになぜここで突然嵐が出てかるかというと、妹が元嵐担だからだ。(この話も結構面白いのでまた別の機会にここで書きたいと思ってる)
 
 
この理由は私自身の実感の問題なので、あまり自分の中でも問題視はしてない。問題はここからだ。
 
 
 
第二に、
今度は彼らが批判の矢面に立たされるのかと思った。
 
24時間テレビという番組は、「支援」「チャリティ」という言葉を使いながらも、出演者に高額やギャラが支払われていることは数年前(?)から一部週刊誌等で指摘(暴露)されている。
 
それ自体の真偽は別として、やはりそういった暴露記事のようなものを元にして、メインパーソナリティを務めるジャニーズの面々やジャニーズ事務所そのものをバッシングする人は毎回一定数いるし、今度は彼らがその立場になると思うと、何だか辛くなってきた。
そして私自身、あの番組の内容・構成・演出などがあまり好きではない。その中に彼らが、言い方は悪いが放り込まめると思うと、あまり良い気分にはなれなかった。
 
 
 
そして最後に、
もう待つ意味はないのだと思い知らさせた。
 
一体なんの話かと思われたかもしれないが、2011年6月に無期限謹慎が言い渡されたメンバー、森本龍太郎の話だ。
JUMP担にとってかなりデリケートな問題にあえて突っ込んでいくが、私は彼が姿を消してから、もう無理だとわかっていながらも、どこかでまた彼がJUMPの一員とし、最年少として、私たちの前に姿を見せてくれるんじゃないかと期待し続けている。
先日、恐らく彼本人と思われるTwitterアカウントが作られ、本人を撮影した動画も公開された。もちろん私はこの事実を知っていたし、彼が事務所を退社している説が濃厚であることも知っていた。だがそれでも彼のJUMPの一員としての復帰を信じたい自分がいるし、何より今年彼は20歳になった。24時間テレビという番組は時間の都合上、メンバー全員が20歳以上(18歳以上?)にならないとメインパーソナリティは務められない。だから、彼が成人するときまでJUMPさんはメインパーソナリティはやらないのだと、それをちゃんと待っているのだと、そう勝手に解釈してずっと待ち続けていた。
 
でもだめだった。違った。結局彼の復帰を待たずにJUMPさんはメインパーソナリティになってしまった。
 
 
 
 
以上が、JUMPさんがメインパーソナリティに決定したときの私の率直な気持ちとその理由である。
薄々気がつかれているかもしれないが、私はアイドルヲタクとしては考えがかなり保守的で、過去に執着して新しいことを素直に受け入れられないところがある。今回もそういった部分を存分に発揮してしまったが、夏までに、彼らの新たな活躍を少しでも素直に喜べるような余地を作らなくてはならないと思ってる。
 
そして先ほども少し触れたように、私はJUMPさん以外のグループについて本当に疎い。特にV6さんはJUMPメンバーの先輩関係の中に全く入っていないし、ほとんど接点がない。私自身のV6さんに関する知識は「百識」のイノッチ先生と「伊藤家の食卓」の健ちゃんくらいしかなくて、恥ずかしながら本当に何もわからない状態だ。これを気にJUMPさんとV6さんがお互いのことをよく知って、ファン同士の交流ができればそれは嬉しいことだと思うし、私もその中の一でありたいと思っている。

セルカ棒の流行と社会問題を勝手に結びつける。

前回の投稿で私がいかに重度のヲタクかについてひたすら綴ったにも関わらず、突然ヲタ活とは全く関係のない話題について語らせてもらいたい。
 
 
 
ここ最近良い意味でも悪い意味でも話題になっているものとして「セルカ棒」というものがある。自撮り棒という呼び方もあるが、セルカ棒の方が名称として使われている頻度が高いような気がするので、ここではセルカ棒という呼び方で話を進めさせてもらう。
 
 
まず、セルカ棒がどのようなものか知らない人のために、Wikipedia大先生からその説明を引用させていただいて記しておく。知らない人にとってはイラストなどがないとイメージしにくい部分もあるが、私はとんでもない画伯なのでそれはお許しいただきたい。
 

自撮り棒(じどりぼう)とは、カメラやカメラを内蔵したスマートフォンに取付けて、自分撮りを行うための長さ1mほどの状の器具である。 

自撮り棒 - Wikipedia

 

さてこのセルカ棒、いわゆる学生世代の女子を中心に流行っていることはご存知の方も多いだろう。街中やイベントスポットなどでステンレス製の棒を持ち、その先端に向かって人々がピースをしているというちょっとシュールな光景を見かける機会もここ数カ月(?)くらいで急激に増えたように感じる。

 

私自身がセルカ棒の流行を最も感じたのは、先月の中旬、友人と大阪のUSJを訪れたときだった。春休みに入っていたこともありパーク内はかなり混雑していたのだが、すれ違う女子学生の集団の中の一人か二人が、みーーーーんな決まったようにセルカ棒を持っていたのだ。驚いた。そしてもはやスマホをセルカ棒として持ち歩いている。撮影をしていないときでもセルカ棒を縮めた状態で握り、スマホを付けたまま持ち歩いている人すらいるのだ。そして当たり前だが、至る所でセルカ棒を使って「自撮り」をしている人たちがいる。

※ちなみに東京近郊のテーマパークといえば私が大好きなディズニーランドがあるが、こちらではセルカ棒の流行に先駆けて、パーク内での使用が、ゲストの安全確保を理由に禁止されている。私がUSJで驚いたのは、ディズニーではこうした光景を見ていなかったというからということもある。

 

 

私はここで考えた。なぜここまでセルカ棒が流行ったのだろう。もちろん単純に「新しくて面白いもの」という側面があって流行っている部分はあると思うし、流行というものは概して「若者」を中心に生まれるものであるから、それだけを考えればセルカ棒の流行もよくある「流行」の一であると言える。しかし芸人さんのギャグなどとは異なり(失礼)、「新しい道具」というものは、最初は「流行」という形でも、いずれ若者以外の世代にも「便利なもの」として受け入れられ、「一般化」していくものであるような気がする。そう考えると、セルカ棒という「新しい道具」もこの先「一般化」していくのだろうか。

 

結論から言って、私はセルカ棒は「一般化」することはないと考える。その理由を社会問題と勝手に結びつけて考えたい。ようやくタイトルに繋がった。長かった。

 

 

 

まずセルカ棒という道具の利便性と存在意義について整理したい。

セルカ棒というのは、先ほどから書いているように「自撮り」を簡単に行うことができる道具である。その道具一つあるだけで、(多くは)数名で写真を撮る際に、棒の長さがある分、誰かが腕を伸ばしたときよりも全員がフレームインしやすくなるし、被写体までの距離があって周囲の景色がより写りやすいこともあるだろう。そして何より、集合写真を撮ろうとすると撮影者は写真に写れないという当たり前の問題を、自分たちの中だけで解決することができる。

やっと来た...!!これだ、私が社会問題と結び付けたい分はこれだ...!!

 

 

つまり、

周囲にいる赤の他人に対して、「撮ってもらえませんか?」とお願いする手間を省くことができるのだ。

 

 

 

だから何だ、当たり前じゃないか、と思われるかもしれないが、セルカ棒を使うような「若者」がこういう手間を省いていることは、結構根深い問題に繋がってはいないだろうか。

 

少し話が飛ぶように感じられるかもしれないが、最近子育てをする親御さんは、その悩みを周囲に相談できず、抱え込んでしてしまう傾向にあると聞くことが多い。そのような状況が増えた原因として、核家族化が進み、おじいちゃんおばあちゃんに家族内の悩みを気軽に手軽に相談できる家庭が少なくなってしまったことや、昔に比べて近所付き合いが減り、日頃の愚痴や困っていることを当たり前に話す相手がいなくなってしまったことなどが指摘される。

 

ここで問題にしたいのは近所付き合いの減少だ。私が住んでいる地域はいわゆる郊外の住宅地であるためか、自宅周辺にどんな人が住んでいるかもよく知っているし、雪が降ると一緒になって雪かきをしたりもする。が、中学一年生のとき担任の先生が授業中に近所付き合いについて皆に尋ねたとき、両隣の家の住人がどんな人か知らない人は、マンションか一戸建てかに関わらず半分以上いたことを覚えている。

 

そして「近所の人」というのは、ほとんどの場合血縁関係も何もない、ただたまたま隣に住んでいる、というだけの「赤の他人」である。

そう、近所付き合いが減ったことで、私たちは「赤の他人」と話す機会をどんどん失っている。

 

さらに、今の「若者」(私も年齢的にはこのくくりに入ることと思うが、それについては気にせず読み進めてもらいたい)は、こうした「機会」がどんどん失われてきた中を生きてきた世代のはずだ。そうすると、近所の人=「赤の他人」に話しかけること、会話をすることが当たり前ではないと漠然と感じる世代だと言えないだろうか。

 

何が言いたいのかというと、今の「若者」にとって、集合写真を撮りたいとき、周囲の「赤の他人」に「撮ってもらえませんか?」と頼むことは、できればやりたくない(抵抗がある)ことで、そこにセルカ棒というそういった問題を一気に片づける道具が現れ大ヒットに繋がったということである。

 

「若者」が持つ、「赤の他人」に話しかけることに対する抵抗と、それを解決する利便性が見事に一致してセルカ棒は流行った、と私は考えているのだ。

セルカ棒の流行は、「単なる新しい物好きの若者による流行」という側面だけではない部分があると思う。

 

そしてそういった抵抗を持っているのは先ほども書いたように今の「若者」だけであり、それより上の世代は、若者と比べるとまだそこまで「赤の他人」と会話をする「抵抗」がないと考えられる。

だからこそ、セルカ棒が若者以外の世代にも受け入れられることによる「一般化」はない、のだ。

 

 

ここまで書くと、いささか強引な結論付けだと感じる人もいるかもしれない。

確かに話しかけることへの抵抗というものはその人自身の性格にも大きく左右されるし、何より「自撮り」という行為そのものが若者特有の行為なのだから、セルカ棒が若者だけに流行るのは当たり前だと思う人もいるだろう。

しかし、一人ひとりの性格の違いというものはあれど、生きてきた時代を背景に創り出されるその世代特有の価値観・考えというものは確実にあると思うし、よく「近頃の若者は...」という言い方をするだろう。それと同じだ。今回はそのような、「時代背景から考える世代の特徴」とセルカ棒の流行との関係について考えてみた次第である。

そして、カメラを自分に向けて撮影するという行為は、撮影する道具が携帯・スマホではなく、デジカメやカメラであった頃から存在していた。「自撮り」がしやすくなったのは携帯・スマホの普及が関わっている部分が大きいとは思うが、少なくとも「自撮り」は現代の若者が生んだ文化ではないはずだ。

 

 

では最後に、セルカ棒流行の何が問題なのかをまとめて締めくくりたい。

先ほど挙げた、子育ての悩みを解決する手段の減少、という点にスポットを当ててみても、「赤の他人」との関わり薄くなってきているこの現状は問題であると言え、「抵抗」を持つ世代がこれからもそうした「関わり」をどんどん減らしていってしまうかもしれない。日本ではそうした「関わり」の大切さを見直さなくてはならない時期に確実にきているし、実際地方自治体などでは子育て真っ最中の親御さんが集まる機会を積極的に作っていくなどの支援が増えつつあると聞いている。

しかし、セルカ棒はそうした抵抗を自分たちの中で解決できてしまう道具だという話を先ほどからしている。つまり、新たな道具の出現がそうして問題解決への道を塞いでしまっているかもしれないのだ。「便利だから」と受け入れたものが、社会問題の深刻化をいつの間にか加速させていたら、こんなに怖いことはない。セルカ棒の流行は、私たちにこんなことを教えてくれているような気がしてならない。

 

「便利」というのは本当に怖いものだ。日本は戦後様々な技術を手に入れ、生活は便利になって豊かさを手に入れた一方、多くのものを失ったと言う人がいるが、これまでのように「便利」をありのままに受け入れるのではなく、一歩立ち止まって受け入れる=「流行にする」ことが現代の「若者」に求められているのかもしれない。難解だ。

私はただのヲタクだ。

 
初回の「はじめに。」でも少し話に出したように、私の趣味はいわゆるヲタクという部類に入るもので、それを現在三つ兼業している。
 
ブログの中でヲタク関連の話題を書くことも多いと思うので、その三つについて触れておこうと思う。
 
 
 
  • Hey!Say!JUMP
ジャニーズの10人組アイドルグループである。訳あって現在は9人で活動を続けているが、私はあえてこういう場の紹介では10人と記したい、そこらへんは許してほしい。
担当(一番応援しているメンバー)は山田涼介(やまだ りょうすけ)だが、どちらかというとデビュー当時から応援していることもあり箱推し感の方が強いかもしれない。ただ山田涼介のことはJr.時代から応援していて、それを続けていたらある日突然Hey!Say!JUMPとしてデビューしたという流れがある。山田担になった経緯について語るのはまた別の機会にしたい。
 
 

 

AKB48グループというのが正しい。AKBを推し始めたきっかけや経緯もいろいろあるのだが、これについて語るのもまた別の機会にさせていただきたい。
推しは当時チームKに所属していた佐藤亜美菜(さとう あみな)ちゃんだった。これを読んでいる人の中で彼女の名前を知っている人がどれだけいるのかは気になるところだか、彼女は全体を通して考えるといわゆる「選抜」ではない立場で、一般的な知名度はほぼ無いと言えるメンバーと言っていい。そんな彼女を推し始めたのは2009年頃で、その後様々なことがあったが、2013年12月に卒業を発表、翌年の1月に声優という夢に向かって佐藤亜美菜AKB48を卒業した。当時は相当な虚無感に襲われたが、現在も彼女を応援し続けているし、その気持ちは変わっていない。
そして現在のAKB48Gでの推しメンは、NMB48薮下柊(やぶした しゅう)ちゃん、HKT48宮脇咲良(みやわき さくら)ちゃんである。なぜこの支店メンバーなのかという点についても別の機会に話したい。ちなみにAKB48で気になっているメンバーを挙げるとするならば15期生の佐藤妃星(さとう きあら)ちゃんだ。苗字が佐藤なのは偶然だ(と信じたい)。

 

 
  • ディズニー

これについては説明するまでもないだろう、千葉県にテーマパークがあるあのディズニーである。これにハマったきかっけは単純明快なのでここに書いてしまうが、母親が元々パークが大好きで、小さい頃から通いまくっていたからである。私が3歳になる前の一年間、両親は年間パスポートを持っていたくらいだ。小さい頃のアルバムを開くと、これでもかとパークで撮影された写真ばかりが出てくる。その後年パスを両親が買い与えてくれるということはなかったが、中学生になってからは友達とパークへ行くようになった。ちなみにだが家からは決して近くはない、電車だと概ね2時間弱かかる。

そしていわゆるDヲタ(ディズニーヲタク)になり始めたのは、大学3年生になる直前の春休みに自分で年パスを購入してからだ。あまりポジティブなきっかけではないのだが、とにかく「自分が好きなときにパークへ行って好きなことをしたい」という思いが突然湧いてきて購入に至った、お金だけはあった。←

年パスの金額を知っている人はわかるかと思うが、とてもとても衝動買いをするような金額ではない。決意したものの母にその場で電話して、何故か泣きながら買ったことを今でも覚えている。この日の詳しく経緯については、先ほども書いたとおりあまりポジティブな理由ではないため、別の機会に書くかどうかについては迷っている。このブログを読み進めるにあたっては問題はないと思う。

 

 

以上が私の趣味という名のヲタクとしての立場の実態である。ドン引きされた方もいるかもしれない、それは当たり前だと思っている。
もしもこれから私のブログを読み進めてくださる方がいるのであれば、この記事の内容を前知識として持っていてくださると幸いである